中日七夕答辯
A. 有從七夕看中日文化差異的日語論文嗎
第六課 七夕
七月七日は七夕です。七夕の行事は、8世紀ごろに中國から日本へ伝えられました。日本では、この日、子供たちが紙に願いごとを書いて、竹につるします。
ところで、中國には、七夕にまつわるこんな古い話があります。
昔、ある所に、貧しい牛飼いの若者がおりました。若者は、兄の家で暮らしていましたが、ある日、家から追い出されてしまいました。
若者は、牛といっしょに暮らし始めました。そして、毎日とても丁寧に牛の世話をしてやりました。
ある時、牛がこう言いました。「明日、湖で天女たちが水浴びをします。天女の服が置いてあるから、赤い服を持って隠れていなさい。その服の持ち主が、あなたのお嫁さんになる人です。」
次の日、若者が湖へ行ってみると、牛が言ったとおり、天女たちが水浴びをしていました。若者は、言われたとおり、赤い服を持って隠れていました。
しばらくすると、天女たちが湖から上がってきました。一人の天女が、服がなくて困っていました。その時、「あなたの服なら、ここにあります。」と言って、若者が姿を現しました。
その天女の名前は、織姫と言いました。織姫は、天の神様の孫でした。
二人は、すぐに仲良くなりました。若者は織姫に、「人間の世界に殘って、わたしと結婚してください。」と言いました。
二人は、結婚して幸せに暮らし始めました。毎日が楽しくてなりませんでした。かわいい男の子と女の子も生まれました。
ある日、牛が若者に言いました。「わたしが死んだら、わたしの皮をとっておきなさい。そして、困ったことがあったら、その皮を體にかけなさい。」そう言い殘して、牛は死んでしまいました。
そのころ、天の國では、神様が織姫を探していました。織姫が人間の世界から帰って來ないので、神様はとても怒っていたのです。そして、二人がいっしょに暮らしているのを知って、連れ戻しに來ました。
神様は、織姫を連れて、天に升っていきました。その時、若者は、牛が言ったことを思い出して、牛の皮を自分の肩にかけました。皮を著たとたんに、若者の體は、天に舞い上がりました。
若者は、一生懸命追いかけました。そして、もう少しで追いつきそうになりました。けれども、神様が大きく腕を振ると、若者の目の前に、大きな天の川が現れました。若者と織姫は、天の川を挾んで、離れ離れになってしまったのです。
織姫は、悲しくて悲しくて、毎日泣いてばかりいました。そして、毎日若者に會いたがっていました。神様は、そんな織姫の姿を見ると、かわいそうでなりません。そこで、年に一回、7月7日だけ、二人が會うことを許してやりました。
7月7日になると、たくさんのかささぎが天の川に橋をかけます。この橋の上で、若者と織姫は一年に一回だけ會うことができるのです。そのために、この日だけは、人間の世界からかささぎがいなくなるということです。
B. 有關洛麗塔論文答辯題目及答案
框架可以擬一下
C. 山本武角色歌 明日に向かって 的歌詞,中日羅對照,要全
棒球護腕新的球鞋
寬廣的運動場社團活動的時間使用的手套
兩個出局滿壘再見機會逆轉全壘打
都是我喜歡的東西
父親的壽司並盛牛乳和朋友一起吃的便當
甜的煎蛋卷咖哩紅豆年糕湯
買來的炒麵麵包
冰棒麥茶飯團冬天的火鍋鮪魚肚中段
都是我喜歡的東西
朋友的笑臉黑手黨游戲後院的野貓
圓陣幫助人幫忙店裡坐在肩膀上的孩子
時雨金時JUMP在阿綱家吃的飯
都是我喜歡的東西
屋頂塌塌米的氣味澡堂涼鞋
洗乾凈的毛巾
走廊秋天的黃昏藍色的海
下課後附近的商店街
掃晴娘煙火大會廟會新年後首次參拜
投投樂七夕祭典賞花破西瓜
游泳池和太鼓彩虹試膽打雪仗
運動會 和小孩們的游戲
投接球練習和朋友度過的時間雨後的天空
都是我喜歡的東西
明日に向かって
演唱:山本武(CV:井上優)
歌詞:
日文:
目(め)を離(はな)した隙(すき)に 遠(とお)くに飛(と)んでいったボールを
夕方(ゆうがた)過(す)ぎ日(ひ)が沈(しず)むまでずっと グランド探(さが)しているよ
好(す)きなことの為(ため)に 夢中(むちゅう)になれる時間(じかん)のこと
人(ひと)はとても優(やさ)しい目(め)をして言(い)うんだ それが青春(せいしゅん)だ!
明日(あした)は何(なに)があるのかな
明日(あした)は何(なに)をやろうかな
考(かんが)えてるよりも今(いま)すぐ
明日(あした)に向(む)かって走(はし)ろう
手(て)を伸(の)ばした先(さき)に 想(おも)い描(えが)く未來(みらい)が在(あ)るよ
なんとなくたまにぼやけたりするけど 光(ひかり)を放(はな)っているよ
たまに考(かんが)え込(こ)んで 膨(ふく)らみ続(つづ)けた不安(ふあん)のこと
仲間(なかま)たちと打(う)ち明(あ)け合(あ)えたのなら それも青春(せいしゅん)だ!
明日(あした)はもっと笑(わら)おうよ
明日(あした)はもっと語(かた)ろうよ
何(なに)があってもオレたちなら
明日(あした)を摑(つか)めるだろう
落(お)ち込(こ)むときもそうさあるだろう 心(こころ)がかじかんで
毎日(まいにち)は本當(ほんとう)に早(はや)くて一瞬(いっしゅん)で過(す)ぎ 去(さ)って
そんなときこそ すぐ近(ちか)くに
オレたちが居(い)る だからさぁ進(すす)もう!
山本武十年後
明日(あした)は何(なに)があるのかな
明日(あした)は何(なに)をやろうかな
考(かんが)えてるよりも今(いま)すぐ
明日(あした)に向(む)かって走(はし)ろう
明日(あした)を摑(つか)めるだろ
みんなで明日(あした)を描(えが)こう
中文:
向著明天
移開視線的間隙 球就飛到遠處去了
直到暮色陰沉夕陽西下之前 一直在邉訄鏨險覍?
對於為了鍾情的事物 陶醉其中的時間
人們用溫柔的語氣說 那就是青春啦!
明天會發生什麼呢
明天做些什麼好呢
比起去思考不如現在
向著明天邁步吧
在伸出手想要碰到的前方 有著由思念描繪出的未來
不管怎樣就算偶爾會變得模糊 也一定是綻放著光芒的
偶爾會有越想不安的心情就會越來越膨脹的時候
和朋友們一起就能把它打消 那也是青春嘛!
明天會有更多歡笑吧
明天會有更多故事吧
不管發生什麼如果是我們的話
明天是能把握在手中的吧
也會有消沉的時候吧 心像被凍僵一樣
每天都像個瞬間一樣一晃眼就過去了
如果是那樣的時候 就在你身邊
有我們在呢 所以前進吧!
明天會發生什麼呢
明天做些什麼好呢
比起去思考不如現在
向著明天邁步吧
明天是能把握在手中的吧
大家來一同描繪明天吧
雨のメッセージ
演唱:山本武(CV:井上優)
歌詞:
急に降り出した雨が 【突然下起來的雨】
町を優しく染める 【溫柔地染上街道】
埃(ほこり)や嫌な事も洗い流してくれる 【讓塵埃和討厭的事也流走】
晴れの日もあれば そうだよ 【若是有天晴的日子 沒錯】
雨の日だってあるよ 【就一定也會有下雨的日子】
雨宿りでもしてさ 休憩でもしよう 【不如避避雨 稍微休息一下吧】
毎日はこれからも続く 【今後每一天也還會繼續】
永遠に途切れる事無い 今が続く 【永遠沒有盡頭 現在的延續】
ほら 泣きたいときは泣きたいだけ 【喂 想哭的時候只要大哭一場】
涙枯れるまで泣けばいい【哭個痛快到淚水流乾就可以啦】
強がらなくていいさ 強くなれるから 【不用逞強也沒關系 因為一定會變強的】
今 坂を駆け上がる その途中 【現在 正在沖上坡道的時候】
苦しくなるさ みんな同じ 【辛苦的感覺 大家也是一樣啊】
焦らなくていいんだ たどり著けるから 【不用那麼著急也沒關系 一定能到達的】
優しい音をたてては 【發出溫柔的聲音】
今日も雨が降ってる 【今天也下著雨】
何もかもを流して輝きをくれる 【洗滌萬物染上光輝】
また明日頑張ればいいさ 【明天再努力不就好了】
経験に無駄なんて無いさ 繋がってる 【對於增長經驗絕沒有白費心力這回事 一定能派上用場】
ほら 逢いたいときは瞳閉じて 【喂 想見的時候就把眼睛閉上】
みんなの笑顏浮かべればいい 【讓大家的笑容浮現吧】
言葉は要らないんだ 伝わってるから 【不需要說什麼 因為已經傳達到了】
今 曲がり角曲がるその途中 【現在 正在拐過轉角的時候】
恐くもなるさ みんな同じ 忐忑的感覺 【大家也是一樣的啊】
俯(うつむ)かなくていいんだ 前に進むなら 【不用垂頭喪氣也沒關系 若是想前進的話】
ほら 泣きたいときは泣きたいだけ 【喂 想哭的時候只要大哭一場】
涙枯れるまで泣けばいい 【哭個痛快到淚水流乾就可以啦】
強がらなくていいさ 強くなれるから 【不用逞強也沒關系 因為一定會變強的】
ほら 逢いたいときは瞳閉じて【 喂 想見的時候就把眼睛閉上】
みんなの笑顏浮かべればいい 【讓大家的笑容浮現吧】
言葉は要らないんだ 伝わってるから 【不需要說什麼 因為已經傳達到了】
D. 七夕的由來怎麼日本也有七夕的
七夕在日語中讀作「たなばた」或「しちせき」,是日本自古以來就有的慶典活動,也是日本一年中最重要的五大傳統節日之一。關於它的起源有很多很多的說法,但最主要的有以下三種:
(1)源自於日本的祭神儀式「棚機」
(2)牛郎與織女的傳說
(3)奈良時代由中國傳來的「乞巧節」
「棚機」是古代日本的一種齋戒活動,將少女供奉在織布小屋中,迎接神明的降臨,祈禱秋日的豐收,驅走人們的污穢。被選中的少女稱為「織女」,將其鎖在建於河流或清水邊的織布小屋中,為神明潛心織布。這時使用的織布機就是「棚機」。後來佛教傳入後,這個儀式作為迎接盂蘭盆會的一種准備活動,在7月7日晚上進行。現在所說的「七夕」二字之所以讀作「たなばた」,就是由此而來的
牛郎與織女的傳說
天琴座的織女星專司裁縫的工作,天鷹座的牽牛星專司農業的工作。這兩顆星在陰歷7月7日隔著銀河遙遙相望,發出最耀眼的光芒。因此在中國,人們認為這一天是一年一度的相逢之日,由此產生了七夕的故事。
乞巧節是什麼?
「乞巧節」是中國的一種傳統活動,源自於7月7日時人們祈願希望像織女那樣能縫善織的風俗。在院子里的祭壇上供奉縫衣針等東西,向星星許願。後來不僅祈求獲得高超的織布技藝還祈求琴棋書畫等有所進步
E. 日本有沒有七夕節
日本人也知道七夕,叫TANABATA,是陽歷的七月七日,不過不是公休日。
F. 日本也過七夕節嗎
傳說有一位身穿羽衣的仙女從天而降,羽衣卻在她沐浴的時候被偷走,仙女找到了偷走羽衣的男子,並和他結婚生子。後來,仙女找到羽衣,就此返回天界。
再後來,男子也獲得了登天的方法,就到天界去尋找自己的妻子,剛一到達天界,他就遇到了仙女的父母,他們給他出了很多難題,但男子在仙女的暗中幫助下克服所有難關。
一千三百年前,七夕文化被遣唐使們帶回日本,最初作為中國傳統的七夕文化傳入日本後,經歷了從全盤模仿到本土化的過程,逐漸變成了日本獨特的風俗傳統,與之相比,我國的七夕幾乎變成了“購物節”,七夕文化在現代社會並沒有被廣泛傳承,節日原本的內涵也逐漸被遺忘,這是值得我們每個人反思的事情。